ソラマメ

研修医の過労問題

1998年に関西医科大学の研修医の過労死をきっかけに、研修医が労働者であることが認められ、労働基準監督署が同大に対して研修医を労働者として扱うように是正勧告を行いました。しかし、その後も研修医の過労死がなくなることはありませんでした。

医師が労働者であるという判断は、社会に一定のインパクトを与えましたが、医師の労働にも労働基準法が守られるのは当然であるという意識は、社会にも医師にも広がることはありませんでした。医療政策廃止の過重労働を前提に策定され続け、このことが問題視されることも無かったのです。

そのため、ア多々なる犠牲者が生まれ、中原裁判など過労死した医師の家族たちは闘いを続きました。また、医療現場では限界を感じて希望を持てなくなった医師たちが過酷な現場を去る「立ち去り型サボタージュ」の現象が起こり、医療崩壊が始まったといえます。